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JR東日本 旅の彩150選

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旅の彩150選コラム

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vol.02 
おみやげクロニクル

もらって嬉しいおみやげ。日本では、おみやげの習慣がどのように始まり、変化してきたのでしょうか。日本のおみやげの歴史や文化的側面に詳しい、川崎市市民ミュージアムの学芸員、鈴木勇一郎さんに、日本のおみやげの歴史についてうかがいました。

おみやげの始まり

旅行につきもののおみやげ。日本ではいつ頃からこの習慣が始まり、広まっていったのでしょうか。
おみやげの起源は諸説ありますが、中でも有力なのが「神仏をお参りして授かったご利益を、周りの人に分けるためのもの」という説です。

「寺社に参拝した人たちは、神仏へのお供えものをいただいて飲食する<直会(なおらい)>によって、神仏のご加護=<おかげ>を授かりました。そして、盃などを参拝の証として持ち帰り、家族や周りの人と<おかげ>を分かち合ったとされます。これを起源と考えると、おみやげに食べ物が多いこともうなずけますね」と、川崎市市民ミュージアムの学芸員で、おみやげの歴史に関する著書がある鈴木勇一郎さん。
旅先からおみやげを持ち帰る文化は、江戸時代にはすでにあったと考えられますが、庶民の間で旅が盛んになるにつれて内容に変化が現れます。参詣者が増えることで、おみやげが寺社からの授かりものだけでは間に合わなくなり、代わりの品を売る店が門前町に現れたのです。

「例えば、伊勢みやげ。伊勢神宮の参宮者は江戸時代に飛躍的に増え、年間数十万人規模にもなりました。おみやげは元は祈祷料の答礼として授けられた伊勢暦、海苔、茶などでしたが、参宮者の増加に伴ってさまざまな商品が登場します。代表的なのは、万金丹(まんきんたん)という薬や、煙草入れなど。当時は徒歩の旅で移動に時間がかかったため、軽くてかさばらず、傷まないものが求められたのです」

薬は持ち運びやすいこともあって、伊勢に限らず各地の神社仏閣の門前町で参詣みやげとしてポピュラーに。煙草入れ、ようじ、うちわといった手工芸品も、軽くて運びやすく、おみやげものの定番でした。

おみやげの起源は、
参詣の証を周りの人に分けるもの。

鉄道が変えたおみやげ

そんなおみやげ事情に変化が現れたのが明治時代。鉄道が開通して移動時間が短くなったことで、食べ物もおみやげにしやすくなりました。

「明治以前から、寺社の門前や街道の宿場町には餅やまんじゅうといった名物がありましたが、茶屋などその場で食べるものでした。ところが、鉄道によって移動にかかる時間がぐっと短縮。傷むことなく家まで持ち帰れるようになったのです。駅のホームには、商品名を連呼しながらおみやげを売る“立ち売り”も登場し、これが宣伝効果となって人気が出たおみやげもありました」

鉄道の発達に伴って生まれ、全国的に知られるようになったおみやげの一つが、岡山のきびだんごです。

「日清戦争の後、戦地から戻った兵士は広島の宇品港に着いたため、多くの人が列車で岡山駅を通って全国各地へと帰っていきました。きびだんごは駅構内で販売されていたうえ、鬼を退治した桃太郎のイメージと重なることから、兵士の帰郷みやげとして人気を得たのです」

 北海道・池田のバナナ饅頭や大沼の大沼だんごは、駅の開業がきっかけで生まれたおみやげ。どちらも今なお人気のロングセラーです。

「バナナ饅頭の発売は明治38(1905)年で、日本にバナナが入ってきてわずか2年後のこと。北海道なのにバナナのお菓子という意外性もあって人気が出たのでしょう。果肉は入っていませんが、風味も形もしっかりバナナです。大沼だんごも発売は同じ年。串には刺さず、駅弁風に折り詰めにしただんごです」

こうしたおみやげの駅構内での販売は、昭和に入ると鉄道弘済会の事業に集約され、個人のおみやげ店によるものではなくなりました。やがて、在来線の特急化などに伴い、立ち売りそのものが駅から姿を消していきます。

鉄道の駅構内には、おみやげ売りの姿が。

今へと続く変化

時代が下って新幹線が開通すると、おみやげにもさらなる変化がもたらされました。

「移動時間の短縮で、福岡の梅ヶ枝餅など、できたてを食べるのが当たり前だったお菓子もおみやげにできるようになりました」

新幹線によって知名度を上げたと言われているお菓子もあります。例えば、ひよこ。今では東京みやげとしても知られますが、もとは福岡のお菓子で、東京進出は東海道新幹線開通と同じ年。その後東京駅で販売されたことで広く知られるようになり、東北新幹線が開通すると東京みやげとして定着したと言われています。
 昭和期には、おみやげの作り手にも変化が現れました。おみやげものを専業で作って卸売りをする業者の誕生です。特に高度成長期以降になると、おみやげの地域性が薄れ、全国の観光地に同じ製造元によるおみやげが並ぶようになっていきました。ご当地風の素材づかいやパッケージデザインなどに工夫をこらした商品づくりは、近年人気がある、大手メーカー製の「地域限定味」菓子の源流といえそうです。
ちなみに、同じ製造元によるご当地もののおみやげは、食べ物以外にも出回っていました。昭和の修学旅行の定番みやげとして大人気だった、キーホルダーやペナントなどがその例です。しかし、こうしたグッズは、地域限定系の食べ物とは対照的に、平成に入る頃から急速に人気が下火になり、現在では限られた売り場でしか見ることができないものになりました。

「おみやげの起源は、寺社参拝の証。そう考えると、日本人にとって、人にあげるおみやげは“旅に行った証”であることが大切なのかもしれません」

時代とともに、おみやげの人気も変化する。

鈴木勇一郎

鈴木勇一郎

1972年和歌山県生まれ。青山学院大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(歴史学)。川崎市市民ミュージアム学芸員。著書に「おみやげと鉄道」など。

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